刑事事件については、弁護士はどのような形で関与するのでしょうか。
また弁護士に依頼した場合に、刑事事件を解決するとは具体的にどのようなことをいうのでしょうか。
刑事事件は、弁護士の仕事という面からは、「刑事弁護事件」と呼びます。

犯罪が発生した場合、国家(具体的には、警察、検察等の捜査機関)は捜査を開始し、
犯人ではないかという者を探り出し、その人から自白を引き出そうとし、
また、逃亡しないように逮捕しようとします。

このように、捜査機関がある人を犯罪を行った者(犯人)と考えて
、捜査の対象としようとした場合、その人を被疑者と呼び、
その後、捜査機関(検察官)が、裁判所に起訴した後の者を被告人と呼びます。

要するに、起訴される前が被疑者、起訴された後が被告人と呼ばれます
(なお、民事裁判では、原告、被告等と呼び、民事事件の被告と刑事事件の被告人は、
少し表現が似ていますが、全く別です。)

日本の刑事裁判の仕組みを簡単に説明しますと、
他の多くの国と同様、

  • 検察官:国家の立場で、被疑者、被告人を追及して処罰を求める
  • 弁護人:被疑者、被告人に付いて、起訴される前も、起訴された後も、
    十分な防御活動が出来るように保証する
  • 裁判所:白紙の立場、第三者的な立場で、証拠を慎重に検討して、有罪無罪を判断する

という建前を採っています。

裁判所で有罪の判決を受け、その後、控訴審や上告審等、
上級の裁判所でも有罪とされて、有罪判決が確定した場合、
その時点で法的に初めて犯人として確定されます。

そして、日本国憲法によって、被疑者、被告人は、
有罪判決が確定して法的に犯人とされるまでは、
自分を防御する権利が十分保障されるべき
ものとされ、
その防御する権利の中で一番重要なものが、
弁護人を選任して弁護してもらう権利
であるとされているのです。

憲法の人権中の、適正手続きの保障ないし権利(憲法31条)の中の
最も中心的な権利とされています。

したがって、弁護士だけが行うことのできるこの刑事弁護人の仕事は、
憲法に根拠を有するものであって、弁護士の欠かすことができない重要な仕事の一つです。

つい最近、重大な一部の犯罪について裁判員裁判制度が始まりましたが、
これも、上記のような構造を前提としており、その枠組みを変えるものではありません。

被疑者、被告人が「防御する」という内容には次のような事が含まれます。

冤罪を防ぐ

何といっても第一は、実際は、犯罪を行っていない被疑者、被告人が、
間違って、有罪(犯罪を行った)とされないようにするという点です。

そうすると、理論上は、実際に犯罪を行っている被疑者、被告人の場合には
(例えば、多数の人が、ずっと注視している中で、殺人をした者など)、
このような権利は必要ないということになるのかもしれません。

しかしまだ、裁判が始まってもいない時点で、
「間違って、有罪(犯罪を行った)とされないようにする」権利を
有する者と有しない者とを区別することは不可能ですので、
全ての被疑者、被告人に、このような防御権を認めるべきということになります。

なお、無罪が問題となる場面としては、

    そもそもその殺人現場におらず(アリバイがあり)、全く殺人に関与していないと主張する場合、
  • 相手方の侵害に対する正当防衛として無罪を主張する場合、
  • 心身喪失時における行為として無罪であると主張する場合、
  • 暴力行為はあったが殺意がなかった主張する場合(傷害致死罪となり、一部無罪の主張となる)、
  • 暴行と死亡との因果関係がなかったと主張する場合(殺人未遂となり一部無罪の主張となる)、
  • 殺害行為(例えば暴行)の態様、回数、程度等が、捜査機関の主張する内容と異なったり、
  • 軽いと主張する場合(これも、殺人罪ではあるが、一部無罪の主張である)、等々、

様々なものがありますから、その意味でも、
誰が見ても間違いなく「有罪」ということは実際にはかなり少ないのです。

この意味での防御権の具体的なものとしては、黙秘権があり、
これを行使することが最も徹底していて有効なものですが、
実際には、捜査機関とのせめぎあいの中で、黙秘続けることは困難な場合が多く、
弁護人が頻繁に被告人と面会し、捜査機関からの供述の強要に負けないように
被疑者、被告人を励まし、また、捜査機関の不当な供述強要等があった場合に、
弁護人がこれに抗議して是正を求める等の弁護活動が求められることになります。

無罪を立証するための有利な証拠の発見、確保も重要ではありますが、
実際はそれは容易ではなく、供述の強要を阻止するという点に
重心が置かれる場合が多いと思われます。

処分内容を適切にする

次に、被疑者、被告人本人も犯罪行為を認めていて、有罪であること
(しかも、捜査機関の主張する犯罪事実と同じであること)について争いがない場合でも、
処分の内容(起訴か不起訴か、罰金を内容とする略式の起訴か、
正式の起訴か、起訴後については、懲役刑の執行猶予か、懲役刑の実刑か、その場合の年数如何)は、

その犯罪事実や犯罪をめぐるいろいろな事情
(犯行の動機、理由、経過、反省の有無・程度、被害弁償をしたか、
仕事や社会生活は安定しているか、将来的な家族の援助はあるか等)に応じた
適切なものでなくてはなりません。

犯罪をした以上、どんな刑罰になろうが、重かろうが、軽かろうが、
どうでもいいという考え方は文明社会前の考え方です。

また、交通事故や交通違反等で、皆さんやその家族、友人等も
被疑者、被告人になることはありえますし、
また身近な人が、窃盗や暴行・傷害、薬物といった犯罪を行うこともないとはいえません。

そうすると、被疑者、被告人が犯罪事実自体を認めている場合でも、
どうしてそのような犯罪を行うに至ったのか、やむを得ない、
あるいは同情すべき事情がなかったのか等の点について主張させ、
被害者との示談をしたり、仕事を解雇されないように勤務先と交渉したり
家族間の軋轢等の問題を調整したりする等、必要なことはたくさんあります。

これらのことは、勾留と言う名で身体を拘束されている被疑者、被告人が単独ではできないし、
また、犯罪の原因となっている諸事情を一人で改善することもできないので、
弁護人の援助を受けながら、こうした努力をしながら、
諸事情に応じた適切な処分、処罰を受けるようにする
(不当に重い処分を受けないようにする)ことが、
広い意味では、被疑者、被告人の防御の内容と言えます。

この意味では、被疑者、被告人のこうした防御権を認め十分に尊重して、
刑事弁護人の弁護活動を十分保障することは、被疑者、被告人の更生(立ち直り)、
社会復帰を図り、再犯を防止する点では極めて重要なものであって、
むしろ、社会全体のために重要なこととも言えます。

私自身の刑事弁護の体験からすると、ほとんどの刑事弁護事件における弁護活動の中心は、
この点にあり、将来も同様と思われます。

勾留中に乱暴を受けることを防ぐ

「防御する」という事な内容のもう一つは、
有罪、無罪、あるいは処分の内容と言う問題とは別に、勾留中の被疑者、被告人に対して、
警察や刑務所(拘置所)等での対応に問題がある場合に、
これを改めさせるということがあります。

例えば、被疑者、被告人が、虫歯で歯が痛くなったり、病気で体調不良の際、
適切な治療を受ける事が出来るようにする必要がありますが、
仮病ではないかということで治療が受けさせない等、乱暴な取り扱いを受ける事があります。

刑罰が確定して刑務所に収容されている受刑者の場合、
被疑者、被告人ではないので、刑事弁護という場面から外れますが、
ここでも2001年(平成13年)12月に刑務官が受刑者1名の尻に向け、
消防用ホースで放水したことによって傷害を負わせ死亡させたとする事件、
翌2002年(平成14年)5月に腹部を革手錠で締め付けたことが原因だとする受刑者死亡事件、
同年9月に受刑者が刑務官から革手錠を施用されたことが原因だとする負傷を負って
外部の病院に移送された事件が発生し、
現職刑務官が特別公務員暴行陵虐罪で起訴され有罪判決が確定しています。

非常に残念で、あってはならないことなのですが、身体拘束中の被疑者、被告人と
警察等の施設、警察官、受刑者と刑務所、刑務官というような事実上、
支配従属関係にある場所においては、権力が濫用され、
信じがたいほどの乱暴な取り扱いがなされることがあります。

被疑者、被告人は、このような不当な乱暴な取り扱いから自分を守る権利があり、
これも防御権の一つと言ってよいと思います。

このような、被疑者、被告人の防御権、弁護士の弁護を受ける権利については、
もともと被害者の立場との関係で理解しにくい面があるほか、
マスコミ等の報道でも誤った理解等もあり、
国民一般の中にも、十分理解して頂けていない場合少なくありません。

「殺人犯等、悪いことをした者は、早く処罰すればよく、
一々、不合理な弁解を聞いてあげる必要はないのではないか」というような声は
私の友人等の中でも少なくありません。

これについては、私としては次のように考えています。

実際の冤罪事件を通して感じること

あなた、あるいはあなたの家族、友人の誰かが、本当は犯罪をしていないのに、
何かの間違いで、被疑者、被告人になったとします。
その時、「殺人犯等、悪いことをした者は、早く処罰すればよく、
一々、不合理な弁解を聞いてあげる必要はないのではないか」と言われたら、
どう思うでしょうか。

その人が犯人かどうかは、誰もわかりません。

究極的に言えば、人間の能力ではわからず、裁判所であっても間違う場合があります。

まして、何とか犯人を見つけようとしている捜査機関あるいは被害者関係者等が誤って、
無実の者を犯人ではないかと考えて被疑者、被告人としている場合も当然ありうることです。

例を挙げると、2010年(平成22年)9月10日、郵便割引制度に関係した偽の証明書発行事件で、
虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省の元雇用均等・児童家庭局長、
村木厚子さんに対して、大阪地裁が無罪(求刑懲役1年6月)を言い渡し、
検察側が控訴せずに無罪が確定した事件があります。

この事件は、検察側が、事件について、勝手にストーリーを作り上げ、
それに合わせて関係者にうその供述をさせ、
あろうことか、重要証拠であるフロッピーディスクのデータ内容を
改ざんするということまでしていたことがわかりました。

また、2003年(平成15年)4月鹿児島県議会議員選挙(統一地方選挙)における
公職選挙法違反事件では、鹿児島県警察が自白の強要や、
数ヶ月から1年以上にわたる異例の長期勾留などの違法な取り調べを行い、
2007年2月に無罪判決がなされた鹿児島志布志事件も捜査機関が勝手にストーリーを作り上げて、
それに合うようにうその供述を強制するやり方がとられ、批判をあびました。

しかも、残念なことではありますが、こうした事件は偶発的なものではなく、
現在の捜査の在り方に根差す体質的な問題であるとされているもので、
これからも、同じような誤った捜査が繰り返される可能性はなくなっていません。

逆に言えば、被疑者、被告人の防御権、弁護人(弁護士)の弁護を受ける権利が保障され、
村木さんと弁護人がこの権利を十分に活用して奮闘したことで、
無罪判決を獲得できただけでなく、捜査の問題点も明らかにすることができたものです。

被疑者、被告人の防御権、弁護士(弁護人)の弁護を受ける権利、
刑事弁護人の活動は、これからもますます、重要になっていくものと思われます。

これまでの刑事弁護の経験から

実際に、刑事弁護人としての仕事をしていて、
被告人が、一見して不合理と思われるような弁解をすることがあります。

多くは、弁護人個人の感覚からしてもその主張を認めるのは難しく、
結果的に裁判所も認めてくれません。

弁護人としては、不合理な弁解であると感じても、頭から否定すべきではなく、
一応、それが真実であるものと受け止め、
その上で信用性のある他の有力な証拠(不利な証拠)と矛盾している点について、
その証拠の信用性を再検討する等する必要があります。

そうした検討の結果として、被告人のその弁解がなお、
証拠全体からして不合理(説得力がない)と言う場合には、
逆に「いい加減なことを主張し、まじめに反省していない」と認められる危険性があることを指摘し、
被告人がその主張を維持するか、取りやめるか、判断を任せる事になります。

絶対的な真実は誰にもわからないものである以上、このように対応するしかありません。

勿論、被告人のためとはいえ、被疑者、被告人あるいは関係者等が記憶している事実について、
不利になるからということで、記憶と異なる供述をさせたり、
あるいは証拠を改ざんしたりすることは弁護人としてはすることはできません。